ちょいさしぶりの更新です。今回は社会人時代のお話をちょいと。
佐々は最初から声優を目指していたわけではなく、社会人、いわゆるサラリーマンだった時代があります。大学卒業後、大手インターネットプロバイダ(※)のとある会社に社員として11年ほど勤めておりまして、そこで社内システムに関わる業務をやってました。
※個人と契約してインターネット接続環境やサービスを提供する会社。
こう見えてバリバリにIT系のお仕事をしていたのですよ。声優の経歴としては珍しいかも知れません。(恐らく理系という時点で結構希少)
ちょっと前から元理系ということが一部にバレて、そのおかげで理系の学問書やビジネス書などの朗読のお仕事をいただける機会が増えたりしてるので、「この属性もっとオープンにしていった方がいいのでは・・・」と思い始めたりはしておりますが。
ともあれ、大学~就職の頃は声優方面はまったく目指していませんでした。
少年時代からパソコン好きで、コンピュータ理工系の大学に進み、その頃にネットデビューを果たすんですが、チャットや掲示板での見知らぬ人々とのコミュニケーションにそりゃあもうどハマりしまして。
「こんな楽しいこと、もっと誰でも手軽に楽しめるようになるべきだ!(※)」の一心で、大学の就職案内には一切お世話にならずに、単身で大手インターネットプロバイダの門を叩いて、運良くトントン拍子で新卒採用。
※当時はパソコンじゃないとネットが使えなかったし、使っている人も研究目的で使っている人やパソコンオタク系の人が殆どだった。
今思えば結構な倍率だったんじゃないかと思うんですが当時は妙な自信もあって、1社だけ受けてそこに就職できちゃったというシンプルな就職活動でした(※)。
※ちなみにダメだった場合は秋葉原の某PCショップを経営してる会社にアタックするつもりでした。潰れてる会社も多い中、そこは今でも元気に経営続いてます。
就職後は、社内システム(社員が使うファイル共有サーバ、メール、情報ポータルなど)を管理する部門に配属になったんですが、その部門では社員の使うパソコンやシステムのトラブル対応なども行っていて、色んな部署へトラブル対応に出向くうちに、自然と社内に顔が広くなるお仕事でした。
特に年配の方ほどご自身でトラブル対処するのが難しくなる傾向が強いので、取締役クラスの方のトラブル対処などに出向く機会も多く、(こっちは業務で行ってるだけなんですが)えらく感謝されてお礼に食事をご馳走になったり、なんてこともたまにありました。
さて、本題。
そんな感じで社内を回る業務を続けて入社7年目くらいのとき、社長賞ノミネートの話が持ち上がりました。各部門からノミネートされた案件(および社員)を、社内投票にかけて受賞者を決定するという感じ。
正直、私が所属していた部門は社内業務が主なので、お客様向けサービスでバンバン売り上げを上げているような他の部門の案件と比べると派手さは無く、貢献度として目立ちにくいものがありました。
が、この年のこの時期は少し様子が違ったんですね。
当時、ネット界隈では「Nimda(※)」と呼ばれる凶悪なコンピュータウイルスが流行しており、大手企業でもその感染被害が相次ぎ、業界全体が対応に躍起になっていたんです。
※ニムダ。逆から読むとadmin=管理者。感染させる仕組みが5通りもあって色々厄介。
そんな中、うちの社内ではNimdaの感染被害はゼロを保っていた(!)ので、「これは日々の社内パソコン管理や啓蒙活動が行き届いているおかげ」ということで、ノミネート案件としていけるんじゃないかという話になり、佐々を代表として推薦してもらえたのです。
そして社員投票の結果・・・。